令和8(2026)年9月30日、「不法行為法制の在り方に関する研究会」の第1回会議が開かれました。[1]民法の不法行為に関する制度の在り方について、基礎的な論点を整理するための研究会です。[2]
不法行為とは、故意や過失によって他人の権利や利益を侵害し、損害を与えることをいいます(民法709条)。[3]ネット上の誹謗中傷への損害賠償も、このルールに基づいています。
この記事では、会議で配布された資料「不法行為法制の在り方に関する検討について」(以下「資料」といいます)から、ネット上の誹謗中傷に関わる慰謝料・調査費用(投稿者の特定にかかる費用)と、投稿の削除請求についての記載を紹介します。
この記事のポイント
- 慰謝料と調査費用が検討対象に: 慰謝料の考慮要素を条文に書くか、投稿者の特定にかかった費用をどう回復させるかが挙げられています。
- 削除請求の根拠も論点に: 判例上「人格権」に基づいて認められてきた削除請求(差止請求)を、法律に明記するかが検討されます。
- 改正の方向性は示されていません: 基礎的な論点整理の段階であり、現在の削除・開示の手続や賠償の考え方は変わっていません。
研究会が設置された背景
民法の不法行為の規定は、明治29(1896)年に制定されました。その後、平成16(2004)年の現代語化で709条の「他人ノ権利」が「他人の権利又は法律上保護される利益」に改められ、平成29(2017)年の債権法改正で消滅時効の規定が見直されるなどしましたが、章全体としては基本的に制定時のまま維持されてきました。
その間、裁判所の判例が積み重ねられ、実務の慣行も定着してきました。他方で資料は、インターネットやAIなどの技術の発展を含む社会経済活動の複雑化・多様化や、国民の意識・価値観の変化に伴い、さまざまな問題点が指摘されるに至っているとしています。人格権侵害の損害賠償額、亡くなった人の名誉やプライバシーが侵害された場合の救済、未成年者の性的被害と消滅時効などです。[4]
不法行為法については、以前から研究者の団体や日本弁護士連合会などが立法提案を公表しており、特殊な不法行為(監督義務者の責任や共同不法行為など)を中心に、見直しを要する事項が多岐にわたるとされています。
そのうえで資料は、近時の重要な検討課題として2つを挙げます。一つは、ネット上の人格権侵害の深刻化で、AIを用いた人格権侵害の深刻化も指摘されています。もう一つは、未成年者への性加害をめぐり、現行の消滅時効の規定では十分に対応できていないとの指摘です。
法務省も、ネット上の名誉権侵害の損害賠償額の調査や、生成AIによる肖像・声の無断利用をめぐる検討会などを行っており、資料はこれらを参考となる事項として挙げています。検討事項は、人格権侵害の救済方法、消滅時効、特殊な不法行為、その他の4つに分けられています。[5]
論点1:慰謝料の算定と調査費用
資料はまず、ネット上の誹謗中傷などで認められる慰謝料が低額だとの指摘を挙げています。法務省の調査でも、ネット上の事案では、認められた慰謝料が30万円未満のものが約半数(46.6%)を占めました。[6]
そのうえで、日本弁護士連合会の立法提言を踏まえ、慰謝料の考慮要素を条文に明記することの当否を検討するとしています。提言が挙げる考慮要素は、侵害行為の態様、故意・重大な過失の有無、侵害された権利・利益の性質、当事者の関係などです。[7]
もう一つが調査費用です。匿名の投稿者に賠償を求めるには、まず発信者情報開示(プロバイダなどに投稿者の氏名・住所等を開示させる手続)で相手を特定する必要があり、弁護士費用などがかかります。
資料は、裁判例ではこの費用の全部又は一部が損害と認められる傾向にあるとし、全額を認めた例と一部に限った例の双方を挙げています。そして、被害者が費用負担を理由に訴えを諦めることがないよう、損害の回復に関する規律の在り方を検討するとしています。[8]
現在は、調査費用のどこまでが賠償されるかは事案ごとの判断によるため、手続の開始時に回収の見通しを立てにくい面があります。規律の内容次第では、この見通しの立て方が変わる可能性があります。
論点2:削除を求める権利を法律に書くか
現在の民法には、名誉やプライバシーの侵害を理由に投稿の削除(差止め)を求める権利を定めた規定がありません。削除請求は、判例が認めてきた「人格権」(名誉やプライバシーなど、人格に関わる利益を守る権利)に基づいています。[9]
たとえば最高裁は、令和4(2022)年6月24日の判決で、Twitter(現X)上の投稿の削除を認めました。プライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益を侵害された者は、「人格権に基づき」差止めを求めることができるとしています。[10]
資料は、明確な権利に至らない利益の侵害でも、不法行為を根拠に、侵害行為の態様から違法であれば差止めの余地を認める立場を紹介しています。そのうえで、明文化に当たっては、法的根拠や、名誉回復のための処分(謝罪広告など)を定める民法723条との関係も検討する必要があるとしています。[11]
根拠を人格権に置くか、不法行為に置くかで、削除を求められる場面が変わり得ます。後者によれば、名誉権やプライバシー権の侵害とまではいえなくても、侵害の態様次第で差止めの余地が生じ得ます。他方、削除は表現を消すことでもあり、要件の定め方には表現の自由との関係でも慎重な検討が必要になるはずです。
今の段階で知っておきたいこと
第1回の議事要旨は準備中とされています。[12]法改正に至るか、至るとしていつになるかは決まっていません。
現在の被害への対応は、これまでどおり現行の法律と裁判例に沿って進めることになります。調査費用が全額賠償される、削除できる範囲が広がる、といった変化を前提に判断するのは早計です。
まとめ
資料が挙げた慰謝料の算定、調査費用の回復、削除請求の根拠規定は、いずれもネット中傷の被害回復に直結する論点です。
もっとも、現時点では論点が挙げられたにすぎず、どのような規律になるかは今後の議論次第です。当サイトでも、慰謝料の額と並んで、投稿者の特定にかかる費用の負担を議論すべきだと述べてきました。研究会の議論に注目していきたいと思います。
文末注
- 法務省「不法行為法制の在り方に関する研究会第1回(令和8年9月30日)」。第1回会議の開催日と配布資料について参照。なお、議事次第では「不法行為法制の在り方に関する研究会(仮称)」とされています。 資料を見る ↩
- 研究会第1回配布資料1「不法行為法制の在り方に関する検討について」1頁。研究会が、民法の不法行為法を中心とした制度の在り方に関し、「基礎的な論点整理のための研究」を行うことを目的としている点について参照。 資料を見る ↩
- 民法(明治29(1896)年法律第89号)709条。「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と定めています。 e-Gov法令検索を見る ↩
- 前掲・資料1 1頁。不法行為の規定の改正の経緯(平成16(2004)年法律第147号による現代語化、平成29(2017)年法律第44号による債権法改正)、判例法理の蓄積と実務慣行の定着、及び指摘されている問題点について参照。 資料を見る ↩
- 前掲・資料1 1〜2頁、11頁。従来の立法提案において見直しを要するとされる事項、近時の重要な検討課題、「参考となる事項」として挙げられた法務省における調査研究等及び立法提案、並びに検討事項の4分類について参照。 資料を見る ↩
- 前掲・資料1 2頁、及び法務省民事局「インターネット上の名誉権侵害等の損害賠償額等に関する調査報告書」(令和8(2026)年4月)9頁。慰謝料が低額であるとの指摘と、インターネット上の事案で認容額30万円未満が46.6%を占めるとの調査結果について参照。同調査は対象とされた裁判例の分析であり、同種事案全般の傾向を直接反映するものではないとされています。 資料を見る ↩
- 前掲・資料1 2頁。日本弁護士連合会「慰謝料額算定の適正化を求める立法提言」(令和4(2022)年9月16日)の内容と、考慮要素を明記することの当否を検討するとしている点について参照。 資料を見る ↩
- 前掲・資料1 2〜3頁。調査費用の全部又は一部が損害と認められる傾向にあること、全額を認めた裁判例と一部に限り認めた裁判例を挙げていること(同資料注3)、及び損害の回復に関する規律の在り方を検討するとしている点について参照。 資料を見る ↩
- 前掲・資料1 3頁。人格権に基づく請求権を定めた規定がないこと、及び判例が人格権に基づく差止請求を認めてきたことについて参照。資料は、名誉権に基づく差止めを認めた北方ジャーナル事件の最高裁判決(昭和61年)や、検索結果の削除に関するグーグル事件の最高裁決定(平成29年)も挙げています。 資料を見る ↩
- 最高裁判所第二小法廷令和4(2022)年6月24日判決(令和2年(受)第1442号)・民集76巻5号1170頁。プライバシーに属する事実をみだりに公表されない利益を侵害された者が人格権に基づき差止めを求めることができるとし、投稿の削除請求を認めた点について参照。 判決を見る ↩
- 前掲・資料1 3頁、及び民法723条。不法行為を根拠に差止めの余地を認める立場の紹介と、差止請求権の法的根拠・原状回復処分との関係を検討する必要があるとしている点について参照。同条は「他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる」と定めています。 e-Gov法令検索を見る ↩
- 前掲・法務省「不法行為法制の在り方に関する研究会第1回(令和8年9月30日)」。第1回議事要旨が「準備中」とされていることについて参照(令和8(2026)年9月30日時点)。 資料を見る ↩