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自筆証書遺言の「花押」は有効か?


自筆証書遺言に押される「印」の代わりに、歴史上の人物などが用いたサインである「花押」は有効なのでしょうか。この点については、かつて下級審の判断が分かれましたが、現在では最高裁判所の判決によって「花押は押印の要件を満たさず、遺言は無効」という判断で確定しています。

ここでは、最高裁の判断に至る経緯と、その後の民法改正が遺言作成の実務に与えた影響について簡単にご説明します。

結論:最高裁は「花押」を無効と判断

平成28(2016)年6月3日、最高裁判所は、自筆証書遺言の末尾にされた花押の有効性について、「花押は、民法968条1項の求める『印を押さなければならない』という要件を満たさず、無効である」との判決を下しました( 最判平成28年6月3日・民集第70巻5号1263頁)

【民法第968条第1項】
自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。

最高裁が花押を無効とした理由は、主に以下の2点です。

  • 形式の重視: 遺言は、紛争を防ぐため法律で厳格な方式が定められています。最高裁は、「印を押す」という条文の文言を厳格に解釈し、花押は署名の一種(サイン)ではあっても、印章(ハンコ)を「押す」という行為には当たらないと判断しました。
  • 慣行の不存在: 花押を印章の代わりとして用いる慣行が、現代の日本社会に広く認められているとは言えない点を指摘しました。

これまでの経緯:なぜ争いになったのか?

最高裁の判断が下される前、下級審(一審・二審)では「花押も有効」と判断されていました。その理由は、民法が押印を求める趣旨(実質的な理由)を重視したからです。

押印が求められる趣旨は主に「遺言者の同一性と真意の確保」と「文書の完成を最終的に担保すること」です。下級審は、遺言者が長年花押を使用しており、それが印鑑よりも偽造が困難である点などを考慮し、この趣旨は満たされているとして花押を有効と認めていたのです。

この判断の背景には、過去に最高裁が「指印(拇印)」を有効と判断した判決( 最判平成元年2月16日・民集第43巻2号45頁)がありました。しかし、最高裁は最終的に、指印は指に朱肉などを付けて「押捺」する行為である一方、花押はあくまで「書く」行為であり、押印とは異なると明確に線引きをしたのです。

【重要】自筆証書遺言をめぐる法改正

花押の議論と並行して、自筆証書遺言をより利用しやすくするための法改正がなされています。

財産目録の作成緩和(令和元(2019)年1月13日施行)

遺言書に添付する財産目録については、パソコンでの作成や、銀行通帳のコピー、不動産の登記事項証明書などを添付することが可能になりました。これにより、全文を自書する負担が大幅に軽減されています。(※ただし、その財産目録の全ページに署名・押印が必要です。)

法務局における自筆証書遺言の保管制度(令和2(2020)年7月10日開始)

これが最も重要な改正の一つです。作成した自筆証書遺言を、法務局(遺言書保管所)で預かってもらう制度が始まりました。この制度には非常に大きなメリットがあります。

  • 方式不備のチェック: 法務局に預ける際、日付や署名・押印の有無など、法律で定められた形式に適合しているかを法務局でチェックしてくれます。これにより、今回のような「花押」や「押印忘れ」といった形式的な不備で遺言が無効になるリスクを防止することができるでしょう。
  • 紛失・改ざんの防止: 遺言書の原本が法務局で厳重に保管されるため、紛失、隠匿、改ざんといったトラブルを防げます。
  • 検認が不要: 通常、自筆証書遺言は、相続開始後に家庭裁判所で「検認」という手続きが必要ですが、法務局で保管された遺言書はこの手続きが不要となり、相続人の負担が軽減されます。

まとめ:確実な遺言を作成するために

以上の通り、判例により自筆証書遺言における花押は無効とされています。遺言書を作成する際は、必ず印鑑(認印でも可ですが、実印がより望ましい)で押印してください。

法律の要件を厳格に解釈すべきか、当事者の意思を汲んで柔軟に解釈すべきかという問題は非常に難しいものですが、少なくとも遺言を作成する側は、後々の紛争を避けるため定められた方式にきちんと従っておくことが重要といえるでしょう。